玉川上水は江戸時代の1653年、人口が急増した江戸の飲料水確保のために作られた水路です。この上水は、江戸市中への飲料水供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・かんがい用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。(バックナンバー「江戸の水不足を救った玉川兄弟の物語」はこちら

[羽村取水堰近くの玉川上水]

水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40年(1,965年)以降、小平監視所より下流は水の流れが途絶えました。

[小平監視所 上流側より]

[小平監視所 下流側より]

その後、玉川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の清流復活事業によって、昭和61年(1986年)から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流が蘇ることになりました。

[小平監視所より下流の風景]

小平監視所の下流側から水辺に降りるとシロハラやヒヨドリが迎えてくれました。

遊歩道は近隣住民の憩いの場となっています。

この上水は、野鳥をはじめとする生き物が多く生息する場所にもなっており、人間以外にも多くの貢献をしています。